【身近な問題:自分の理解の盲点を知ろう】
【身近な問題:自分の理解の盲点を知ろう】
人の目には、物を知覚できない盲点があります。特別な訓練をしても、盲点では物を知覚できるようにはなりません。そこで私達は「盲点がある」ことを自覚して、欠点を補うよう対処しています。
職業柄、「相手は理解してくれたかな?」という振り返りを日々行っています。そうしているうち、「人の理解の仕方にも盲点があり、その盲点は人によって種類や組合せが異なるのでは?」という仮説を考えるようになりました。
伝える側が「分かり易い」と思う説明をしても、常に一定数「分からない」という人がいます。これは仕方のないことだと思いますが、では、情報の受け手である集団を分けているものとはいったい何でしょうか?これを考えたとき、「自分の理解の盲点を自覚して、対処できている・いない」という分類がピタリと当てはまります。
「分かる」集団の人に解釈の仕方をたずねると「こういうことでしょ?」と自分なりの説明をしてくれます。ただ、その内容をよくきくと、その人が苦手な理解の仕方を回避して、自分の得意な理解の方法を選択していることが多々あるようです。一方「分からない」集団の人は、自分の理解の盲点がどこにあり、どの程度あるのか自覚できていないように見えます。
この仮説は個人的なものですが、小さな子どもから大人、そして、加齢に伴って理解の仕方に変化の現れるシルバー世代の人々まで、広い年齢層に適用可能な考え方だと思います。そして同様の性質は、情報の受け手だけでなく、伝える立場の人にも(!)いえます。
「自分の理解の盲点を自覚する」学びは、いつ始めても遅いことはありません。そうした理解の盲点への「対処の仕方」に磨きをかけると、必ず本人に良い結果をもたらすと、マナビオでは信じています。
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